幼少期から学生時代
名古屋ささしまSorrir整骨院 院長の阿部光輝は、昭和47年に大阪市で生まれた一人っ子です。父親が転勤族の為、幼少期には鹿児島や高松にいたらしいです。記憶があるのは幼稚園時の大阪府堺市からで、その後も転勤が多く小学校だけで4回変わりました。そのため環境の変化に抵抗が無く新しい場所や新しい事にチャレンジすることが好きになったと思います。
その中で、小学校四年生の時に母が亡くなり、中学卒業まで母方の祖母の家に預けられることになったのですが、それが大阪市平野区という下町で、工場や長屋・文化住宅が多く、環境的にはあまり良くはない地域なのですが、そこの水が思いのほか合っていたのか友達にも恵まれ、今でも連絡を取り合うのはこの時代の友人が多いです。
中学時代は祖母にいっぱい迷惑をかけましたが、祖母の厳しいながらも愛情を感じる教育もあったおかげで、ここでの経験が現在の自分の考え方の基本になっていると思います。
中学は水泳部のキャプテンをしていたのですが、高校入学後友達に誘われラグビーを始め、全力で人にぶつかっていく事が楽しくその競技に夢中になりました。
ポジションはFWのフランカーと言うスクラムを組む方でひたすらタックルに行っていた記憶があります。大学でもラグビーを続け関西大学Dリーグという一番下のクラスでしたが、四回生のときに入れ替え戦に勝ちCリーグに昇格したことが一番の思い出です。
その間やはり激しいコンタクトスポーツですので年がら年中身体のどこかに痛みのある状態で、何度も怪我をしましたが特に首・右肩・腰・右膝・右足首は程度が酷くプレーできない焦りと悔しさをよく感じていました。
早期復帰を目指して整形外科に通院するのですがシップや痛み止めの処方だけで治療をしてもらっているという感じではなく、不安でしょうがなかった記憶があります。ですがその当時の先輩に整骨院を紹介してもらい通い出したのが、この仕事との最初の出会いでした。
その整骨院は大学の近所にあり、体育会系ご用達で外傷が多く、テーピングなどの応急処置をよく教えてもらったりしてましたし、何といっても痛いながらもプレーできる状態にしてくれるのが嬉しくて、何か身体に問題があるとしょっちゅう通院していました。
今考えるとその当時の先生に無理なお願いをしていたと本当に申し訳なく思いますが、その時に漠然と人も役に立つ上に感謝される良い仕事だなと興味を持ったことを覚えています。
この仕事を志した理由
その後大学を卒業した時期が、バブルが弾け就職氷河期の始まった時期に重なり、苦労しながらもなんとかユニットハウスという建設現場の現場事務所に使う仮設機器の営業として大阪で就職することができました。ちょうど関西の震災の後で復興の為の現場が膨大な数があり、営業で入ったのですが最初の一年はずっと現場で職人をしていました。
その後転勤で岐阜に行き次に三重で仕事をしてきたのですが、初めての一人暮らしが楽しく激務なのですが遊びにも夢中になり無茶を続けていたためずっと体調がすぐれず、過労で倒れ人生初めての入院を経験したことから、自分の身体と健康という事を始めて意識したのを覚えています。
そのような経験と結婚もしたことで、ずっと本当にやりたいことは何なのかを考えるようになり、もっと何か人の役に立つ仕事がしたい、喜んでもらえる実感の持てる仕事がしたいとの思いから、この仕事をやりたいと一念発起し会社を辞め大阪の専門学校に入学したのですが、この頃に予定外の長男が生まれ最初に考えていた計画が崩れて、主夫・バイト・専門学校というサラリーマン時代以上に忙しい三年間を過ごしながらも、なんとか無事柔道整復師の国家資格取得することが出来ました。
挫折
最初は何軒かの整形外科や整骨院での修業し、外傷の応急処置や脳梗塞などのリハビリなどいろいろな症状に対応する経験を積み、少しずつ自分の中で自信が持てるようになり長女も生まれ、一度は兵庫県西宮市で単身赴任にて整骨院を開業したのですが、保険治療での毎日毎日通院してもらい、やることといえば温めて電気を当ててマッサージの繰り返しだけで一時的には良くなるのですがすぐに戻ってしまい、どうしても患者さんの体を治していくことができず、根本的な改善が見られない事が悔しくて、また、一身上の都合により、三年弱で閉院し治療家の道は諦めようと考え名古屋に帰って来ました。
その後は他の仕事に付き働いていたのですが、ラグビーの古傷である首の痛みから右腕に痺れと痛みが出始め、段々と痛みで寝れない日が出るまでになり、整形外科を回ってもレントゲンやMRIでは異常が無く、シップと痛み止めを処方されるだけで変化は無く、色々と評判の良い治療院やゴットハンドと呼ばれる所に通って治療を受けてみて、その場は痺れが無くなり良くなるけども、首や他の所に強い痛みが出て元に戻る事を繰り返してきました。
この時期は柔道整復師の資格を持っていても自分の身体さえ治せない自分に腹立たしく、また本当に自分の身体がどうなるのだろうと不安で仕方が無く、このまま仕事が出来なくなるぐらいに悪化するのではと真剣に悩んでいました。
転機
そんな時に、前に勤めていた院でやっていた「疲労回復整体」の評判を聞き、一度治療を受けたところ、軽く身体を触っていくだけで何をされているのか全く分からず、ただ不思議な感覚だけが印象的でした。
治療効果としては最初の変化はさほど無かったのですが、何か今までの治療と違い何かが変わっているような感覚があり、何度か通ってみようと思うことができました。通院を続けてみると少しずつですが痛みに変化が出始め、今までの様に痛みがぶり返すことなく、少しずつ痺れが取れてきたことに驚いたことを覚えています。
これは、まず体の循環を整え、姿勢を矯正し、自分自身で身体を回復させる状態を作り出すことで、弱っている身体に負担をかけることなく、ゆっくりと確実に無理なく身体を回復させていく事の大切さを実感させてくれましたし、この治療法の素晴らしさに感動しました。
そして一度は諦めていた本当に治せる治療家になるという夢をもう一度目指してみたいと考え、前に勤めていた院に出会い御縁があり働かせてもらえるようになり、最後の三年間は院長として務め少しずつ患者さんを治す自信が持つことができました。
意気込み
そして、この方法ならば私と同じように、多くの病院で異常なしといわれシップや痛み止めしか処方されなかった人や、色々な所で治療を受けてきても治らなかった人の長年の悩みを解決でき、喜んでもらえるのではないかと思っていますし、私自身もう一度、本当の治せる治療家になるという夢に、真正面から向かう決心をし、頑張っていこうと考えています。
今回「名古屋ささしまSorrir(ソリア)整骨院」としてこの場所で開業することにしました。
Sorrir(ソリア)とはポルトガル語で「笑顔にする」という意味です。
来院してもらった方々に笑顔になってもらうお手伝いをさせて頂きたいという想いからこの名称にしました、あきらめる前に当院の治療を一度受けてみてください。
あなたの長年の悩みを改善し、本来の健康な身体と笑顔を取り戻すお手伝いを全力でさせて頂きたいと思っています。